モバイルご隠居の 『どぬどぬマシンのひとりごと』

モバイルご隠居のプロフィールはこちら → 

 

    ◎ モバイルご隠居の生い立ち

 コンピュータと名のつく物に初めて触れたのは、小学生のときだった。
 祖母に連れられ通った、今は亡き大阪四ツ橋の電気科学館。そこには、好きな年月を入力すると、そのカレンダーが印字される、ただそれだけの電子計算機があった。今思うと30分もあれば自分でプログラムさえ組める単純な仕組みだが、少年にとっては衝撃的な物体だった。
 その頃、私の愛読誌は天文ガイド、ラジオの製作にFMfanそして創刊間もないポ・パ・イ。そんなませたガキの目に飛び込んできたのが組立てマイコンキットTK−80という代物だった。
 それは、10桁くらいの数字と16進数で使う英字しか表示できない形ばかりのディスプレイと数字キーに毛の生えたキーボードとむき出しの電子部品が載ったボードだった。しかし一般的なサラリーマン家庭の子供には買える値段ではなく、高嶺の花だった。そのうちに8インチくらいのモニターのついた日本語も表示できるマイコンが出回るようになった。日電のPC−8001、シャープのMZ−80といった機種が人気で皆、BASICという言語を使って思い思いにプログラムしては、オーディオカセットに記録して交換し合った。
 そんなある日、私も高校生になりその祝いにと父がシャープのポケットコンピュータなる物を買い与えてくれた。それもほとんどフルセットの状態で。少年は当時出入りしていた学習塾で成績集計のプログラムを作ったり、好みの曲の音を(着メロにも及ばない)なぞらえるプログラムを作ったりして楽しんだ。
 いつしか、世の中ではマイコンがパソコンに代わりマイクロソフトのMS−DOSの時代が始まった。その頃、私にプログラミングのいろはを教えてくれた恩師から、世界初のラップトップコンピュータ:東芝のJ−3100を譲ってもらった。ラップトップ(膝上)とは言うものの、普通の人の膝の上では使われることはなかった。何故ならばそのPCにはバッテリーが付いておらず、重量も7Kgくらいあったので専用ケースで持ち運ぶのが精一杯だった。本当の意味でのモバイル体験は、NECのPC98Nというメモリー640KB、バッテリー駆動約1時間のノートパソコンを手にした大学生のときだった。それを通学の車中でレポート書き、家では発足間もない、Niftyを利用してメールを書いたりとフル活用していました。
 また世の中では電子手帳なるものが出現し、パソコンより持ち歩きに苦労しない!と飛びつき、システム手帳とセットで持ち歩き忙しい学生のスケジュール管理をしていた。それも3台の買い替えを経てザウルスを購入し、売り切りの始まったNTTの携帯電話と繋いで、出張先からの業務報告などをメールするようになった。
 しかしながらザウルスではやはり物足りず、Window95発売と同時に新型ノートパソコンを購入。移動中の新幹線の座席でもミーティングの資料を作ったり、PHSの電波が使える停車駅に合わせてメールのチェックをしたりと、とにかく仕事の為のモバイルを実践していった。

 そんな日々を過ごしながら、最近は何も持たないことに重きをおくように変わってきた。何よりも、移動が少なくなってきたのと、通勤電車ではパソコンも使えず、地下鉄が主となる移動ではi-Modeすら使えない。これでは手も足も出ない。早くお隣の韓国のように地下鉄車内でも電波が通じるようになってほしいものだ。

バックナンバーはこちら